真宗高田派 宣隆寺 第15代住職 𢎭(ゆはず) 唯正
1962年生 宣隆寺第十五世住職。先代住職十四世唯暁が昭和52年4月に開設した社会福祉法人 法輪会 ほうりん保育園を継承し、仏教保育を基盤とした、ほうりん保育園グループ(ほうりん保育園・ほうりん児童館・高岡ほうりん保育園・高岡ほうりん児童館・つどいの広場サラダの国)の理事長を務めています。
日本人は、元来稲作を中心とした農業また漁業・林業などを主に生活の生業としてきました。
第一次産業は、大自然にその実り・収穫のよしあしが左右されます。太陽に手をあわせたり雨乞いをしたり昔から私たちの先祖は、目に見えない力や大自然の大きな力に畏怖の念をいだきながら生きてきました。ところが現代では、産業の中心が一次産業から二次産業や三次産業に変化し人々と自然との関わりも希薄になってきました。自然の力、その大きな力に左右されることがなくなると人々は手をあわせることも少なくなってきました。家の中に心の中心となる場所(仏壇、神棚)のある家庭があたりまえだった時代からそれらの場所のない時代に変化しました。
今、手をあわせる場であるお寺や神社が機能しなくなってきています。現代社会では新興団地の住宅に限らず、昔からの家でも仏壇のない家庭が増えてきました。
そういった時代だからこそお寺の僧侶として考えることがあります。手を合わせる場のある家庭は、家族がまとまっています。信仰を持つことは、人としてしっかり根をはって生きていくためにとても大切なことです
手をあわせる意味、感謝することの大切さを宣隆寺の住職になったご縁によって皆様にお伝えしたく精進しているところです。
お念仏を通じて感謝のこころを伝えてまいります。どうぞ、よろしくお願いいたします。
宣隆寺 十五世住職 唯正
重さ8トンの中国産錆石の原石を4年間かけて彫り「寝釈迦石佛」を完成させました
お墓で困っている方のための永代供養碑のシンボルです。
境内の中にありますので、参詣の際、ご覧ください。
石の運搬 重さが8トンもの重量。
宮崎沢男様から石仏を彫るためのアドバイスや指導を受けました。
宣隆寺に伝わる「寝釈迦仏」の軸を8トンの石に写仏して製作しました。
錆石(さびいし)は硬くなかなかうまく彫れず悪戦苦闘しましたが、
4年の歳月をえて宮崎沢男様の指導のもと完成することができました。
宣隆寺 第14世住職 𢎭 唯暁 随筆集「和顔愛語」より抜粋
目を閉じてみえるもの
江戸時代には「見ざる、聞かざる、言わざる」という三猿がその時代の生き方の一つの方法であったされ、その考え方は、戦前までつづいていました。それにひきかえ、現代社会の中では「よく目を開いてものを見る、よく耳をすまして聞く、さらにはよく口を開いて自分の意見を言う」ことが大切であるといわれています。
しかし、このような現代において、詩人の清水哲夫さんが次のような短い詩を作っています。
目を閉じることも
また見ることなのか
目を閉じよ!
一体この詩は、何を私たちに語りかけようとしているのでありましょうか。目を閉じたら、物を見ることができません。目を閉じて見えてくるものとは、実は私自身の内面の姿であるといえましょう。自分の心の動きは、目を開いているかぎり、見ることはできません。こんなことをしなければよかった、あんなことは言わなければよかった、という今日一日の己の姿が、目を閉じることによってはっきりしてくるということでありましょう。
御仏壇の前に坐って合掌し、目を閉じたとき、すでに今はなき父や母の姿が思いおこされてきます。あのときは、こんなこともあった、こうも言われた、目の裏に焼きついている今は見ることもできない祖先や先立たれた方々の姿が見えてくるのであります。
詩人は、そんな思いで「目を閉じよ」と現代社会に生きている私たちに語りかけているのではないでしょうか。今、私たちに一番忘れられ、欠けているものを呼びさまそうとしておられるのではないでしょうか。皆さん、今すぐ目を閉じてみていただけないでしょうか。
(『一道』第一集、昭和六十一年四月)
塵(ちり)を払い垢(あか)を落とせ
お釈迦さまのお弟子の中に、槃特(はんどく)・周梨槃特(しゅりはんどく)という兄弟がおりました。兄は賢いかたでしたが、弟は並はずれた愚か者で、自分の名前すら満足に覚えることができませんでした。
人々は、うわさしました。「あんな愚か者のいる教団を率いておられるお釈迦さまは、大したことはない」と。それを聞いた兄は、大変悲しみ、お釈迦さまに傷がつくようでは、どれほどかわいい弟であっても、この教団におくわけにはいかないと、弟に教団を去るように、涙を浮かべながら勧めました。弟は、これを聞いてさびしく歩きはじめました。
この様子を遠くから御覧になられたお釈迦さまは、弟を呼びとめ、そのわけを聞かれると「決してここを去ることはない。私は、おまえのために、こうしよう」とおっしゃられ、塵払(ちりはら)いと箒(ほうき)をお渡しになって「おまえは、毎日、これで『塵を払い、垢を落とせ』と声に出しながら、お弟子がたの部屋の掃除をしなさい」と仰せになりました。
はじめ、弟の周梨槃特は、この短い言葉すら、なかなか覚えることができませんでしたが、やがてどうにか言えるようになって、毎日毎日どこかで「塵を払い、垢を落とせ」という声がしていました。五年たち、十年たつ間に、周梨槃特の魯鈍(ろどん)な心の中に、フッとひとつの疑問がわいてきました。それは、払っても落としても、いつの間にか溜まったり、積もったりする塵とは、垢とは、一体何なのだろうか。あるはずもないところに、いつしか積もる塵とは……垢とは……。
そして、これこそ、お釈迦さまがお示しくださった自分自身のうえに消し去ることも、どうすることもできない煩悩なのだと、気づいたのでありました。こうして周梨槃特は、大勢のお弟子がたに先がけて「めざめた人」、つまり覚者になられたというお話です。
(『一道』第三集、昭和六十三年五月)
無財の七施
仏教には「布施(ふせ)」という大切な教えがあります。施(ほどこ)すという意味は、何かをあてにして行うものではありません。
品物やお金のように、形あるものを施すことを財施(ざいせ)といいます。仏様の教えを説き、真実へ人々を導く法を説く、このような形のない施しを法施といいます。また、そのほかに、無畏施(むいせ)といって、人々に害を与えず、恐れの心を起こさせない施しがあります。この三つの施しを三施といっております。
また、この三施に対して、無財の七施といって、施しをする金品をもってなくても、自分の身体でできる施しがあります。今日、私たちの生活の中で味わうことが多いことが多いと思いますので、ここに紹介します。
無財の七施の第一は、目の施しです。いつも優しいまなざしで相手をみるように、ということです。第二は、顔の施しで、いつも穏やかにほほ笑みをたたえるように心がけること、第三は、言葉づかいに気をつけ、相手を傷つけないようにすること、第四は、身体の施しで、喜んで相手を手助けし、奉仕すること、第五は、心の施しで、相手の気持を汲んであげること、第六は、座席を譲る施しで、困っている人の立場に立って理解すること、第七は、相手の心を休めるようにする施しで、細かい配慮を行うことです。
考えてみると、今日の私たちは、物に満ちあふれ、世界一の高齢化社会をむかえて高い教育を受けた生活を送りながらも、無信仰に生き、自分本位の生活を行い、人間関係がそこなわれた、心のやせた時代を過しています。だからこそ、現在、この無財の七施といわれる教えが、実に大切なことだと思います。
日常生活の中で、誰にでもできそうで、大変むつかしいことです。その中の一つでも二つでも心がけていただければ、人間関係をより豊かなものにしていけるのではないでしょうか。
(『一道』第四集、平成元年九月)
勝手な願い
私たちの生活では、自分の知らない間に、実は自分を中心にして他人のことをかえりみないことが大変多いと思います。たとえば、入学試験とか就職についても、自分の息子が目的の学校に何とか入学できますように、また自分の娘が有名企業に入れてもらえますようにということから、小さなことでは、明日のお天気のことまで、自分の都合のよいようにと、願いごとをかけています。いま短いお話がありますので、紹介してみましょう。
ある男が神様のところへやってきました。「どうか明日はよいお天気にしてください。もし私の願いがかなえられましたら、明後日にはたくさんのお礼のお菓子をお供えさせていただきます」と頼みにきました。これを聞かれた神様は「よしよし、おまえの願いをかなえてあげよう。きっと約束を守るように」といって帰しました。その男と入れ違いに、次の男がやってきて神様に「今日は、広い畑に種子をまきました。是非、明日は雨をいただきとうございます。おしめりをいただけましたら、明後日には大きなかごもりをお礼にお供えにまいります」と。これを聞かれた神様は、よしよし、おまえの願いをかなえてあげよう。きっと約束を守るように」とその男を帰しました。これをとなりで聞いていた神様の奥様が、変な顔をして「明日は、一体どんなお天気になるんでしょう。先の男には上天気にしてやるといわれ、次の男には雨ふりにしてやるといわれましたが」とたずねました。神様は、にこにこと笑いながら「そんなことわしの決めることとはちがう。なるようにしかならぬ。それよりもはっきりしていることは、明後日にはお菓子かかごもりが、まちがいなく届くだろう」と平然としておられたというのです。
人間の神だのみは、実に自分勝手な都合のよい願いで満ちています。ありのままの自然(じねん)こそ、法そのものです。勝手な人間の願いとは無関係なのです。
(『一道』第五集、平成二年七月)
失うものと得るもの
敬老の日の行事が先月ありました。年をとるということについて考えてみたいと思います。
よく年をとると、三つのものを失うといわれております。一つは、健康で、若いときは元気であったものが身体のあちこちが痛み、動きが鈍くなってきます。二つめは、仕事を失うことで、まだまだ自分は若い者には負けぬし、働く意欲は充分もっているつもりでも、六十歳定年といわれているように、会社や学校から職を奪われてしまいます。三つめは、相棒を失うことで、長くつれそった伴侶を失うということです。
そこで私は、この老いの三失という言葉から、その反対に老いの三得というものを考えてみました。年をとってこそ得られるものが何でしょうか。
まず一つに、年をとると、丸くなるということです。若いときには、人に負けまいととして頑固一徹で角のある生き方をしていた者が、さすがに年をとると、若いころと違って「仏様のように、円満なお年寄りになられたなあ」という周囲の声を聞くということです。
二つめには、世の中の酸いも甘いも心得た豊かな人生経験をもっているということです。これは大切なこと、これだけはという思いに立って、若い人々には是非伝え残していかなければならぬことを、自分の仕事として、後ろ姿で実践いただくことです。たとえば、言葉づかいとか、身だしなみとか、朝夕の仏様へのお給仕とか、お勤めなど、若い人々に口でいろいろ世話をやくのではなく、静かに身体で示し残していただくことが大切です。
三つめは、これらの経験を踏まえて、一日一日が新しく開けてくるという思いで生活することができるということです。定年退職された方から「私の余生は趣味と旅で生きます」という挨拶状をいただきますが、人間の生活に余った人生はないはずです。積み重ねた人生の上に新しく開けて、今日の一日が始まるという味わいをさらに深めていくことだと思います。作家の大仏次郎先生も、七十歳を迎えられた正月の対談で「残り少なくなりました一日一日を大事に生きてゆきます」といわれています。
(『一道』第九集、平成七年一月)