宣隆寺 寺史
真宗高田派 宣隆寺の沿革
初め天台宗の一草庵にしてその開基は能登の人、宝林坊という。
当地院釈寂静居士とあり、永正(1510年頃)以前の人というだけで年代定かならず。当寺第四世唯俊の記す寛文六年(1666年)の古誌によると真慧上人当地に御教化の時真宗に転じたりと、故に宝林の法輪を転じて山号となす。元和年間(1619年頃)専修寺堯圓上人より宣流寺の寺号を賜りしが、宝暦九年(1759年)の記録には専隆寺とある。
現在の宣隆寺となりしは、何時のころか定かではない。又当村の一角は、紀州藩に所属し現在1メートルの高さの紀伊大納言徳川内藏守の位牌を安置している。又遺品として横笛を伝え、当寺の家紋は矢違いなりしも徳川時代に三葉葵の家紋をつけた。
現在の堂宇は、天保年間(1837年頃)に再建したものときく。
高田の寺々より